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このブログは9年5月8日に掲載したものですが、内容の一部を再編集しましたので、再掲載します。課題 ; 枚岡神社(東大阪市)掲載;「神と仏の道を歩む」NO.60(152頁)集英社出版これまで度々同じ共通する問題を取り上げてきました。即ち、今回の挿絵の本来の目的=巡礼者へのガイドブックが前提になっていますので [原稿を忠実に再現する]ことが必定条件として求められてきました。 「変更」は原則として禁止でした。ところで、原稿が充分に条件を満たしていて、問題のない内容である場合は すんなりと、それらの条件を満たせて、問題は無いのですが。また同じように、普通一般の絵画制作の場合でも、実際の「原風景」が絵画的に理想的な条件なら、苦心することなく楽なのですが、実際はそうでない場合の方が殆どです。特に、細密画や写実画ともなると「現物と一緒」とか、「本物みたい」「写真のようだ」という評価が常に伴います。成り行きでも、コピー的な作業になりがちです。そんな中で、原風景なり、実際の現物なり、参考資料なりが、もともと条件が「失格」の場合、それを忠実にコピーすれば、作品も「失格」扱いになります。今回のように原風景が、建物の歴史が古く 部分的に追加や省略等の改装らしき跡が少なくなく、更に、全体に張り紙や、付随物が混み合っていてリピート感が崩れています。如何にして、規定どおりの「挿絵」としてまとめるかが、容易ではないのですが、更に、「作品」として 如何に作者の芸術性や創造力を生かせるか、等など、を考慮しようとすると、特に悩むケースでした。【変更~創造】【合成写真~カプリッチオ】など、のテーマは 絵画の基本中の基本ですが、「絵画の創造」についての考察は、範囲が広すぎますので別の機会とします。今回は、この作品に限っての具体的な苦労話をします。1)指定された画面は、手前に垣根があり、垣根が邪魔をし て全体画面の約1/4が見えていません。 特に、第1棟の場合は 正面の約半分が見えていません。 【解決】先ず、初めに、他の角度から見た色々の資料を 参考にして、正面から見た場合を 想定して建物の 建築設計図らしき図面を一旦描きます。 、 それを参考にして、描きたい角度(この作品の場合は 建物右45°)から見た細部を、推測しながら「挿絵」 として、または「作品」として描き直します。 2) 左の屋根(正面通路の屋根)は実際は右に長く伸びており、 本殿の中心に折り重なっているように見えています。 そのため、実際は、第三棟と第四棟の屋根から下は隠れ て見えていません。 【解決】通路の屋根の長さを半分以下にして、第三棟と第四 棟の全棟が揃って見えているかのように想定する。3) また通路を支える柱が数本あり、正面の本殿の柱の並びと 重なり複雑である。 更に、全体のリピート感が崩れていて、 バランスの無い柱だらけの風景となっている。 【解決】通路の柱は省略して、本殿建物の柱の配置がリピー トするように整理整頓する。4)他の資料では、前面に堀があります。しかも日の当たらない 影の部分で、不自然な暗部である。 【解決】光の演出を工夫して、堀に光の当たる明部を追加して はっきりと描き、画面全体のバランスと立体感を追加 する。5)その他、改装部分。見えていない細部。張り紙。観光案内。 【解決】全四棟が統一するように追加・省略、修整を施す。以上の変更作業は、カメラのレンズで一方向から写した実際の写真としての風景とは、違いがありますが、違和感はありません。むしろ、巡礼者の皆さんが、 実際に本殿の建物の近くで、あちらこちらを見回した際に、本殿は部分的には相違していませんので、「偽りの表現」とか、「過剰宣伝」とはなり得ません。全体として、ちょっぴりと絵画的な雰囲気も加味した上で、「挿絵」としての効果も出せたのではないかと自評しております。「もっともらしい変更」といえる変更が出来たと思っています。また「変更禁止」の条件の中での「必要な変更」と言えないでしょうか。 *********************************************AD by Owner :1)「鉛筆写実画入門」 自費出版(3,000円=本2,500+送料) 詳しくは下記のホーム・ページ・第二章参照ください。 (2) 「ジグレー版画」 水澤潤による一部作品の複製版 同じく上記のホーム・ページ・第二章を参照ください。 **********************************************
部分がどうしても伝わらない。スタービーチそれはその技術が、論理化数値化(流行語を遣えば「見える化」)できるよな浅はかなものではなく、個人のもつ才能や意欲やもっと言ってしまえば「魂」に依拠しているずいぶん深い部分に根を持っているからだ。あまり良いたとえとは思えないが、フランケンシュタインの体を組み上げた博士が、最後に体中に電流を通す、その「電流」のようなものが、技術が魂を持って躍動するには必要なのだと思う。とはいえ、特許の世界でもその「電流」のようなものが不要だとは言い切れないように思う。製造技術の公開後、特許は20年で独占的排他権を失う。医療用薬剤の分野においては、特許が切れ、自由に製造できるようになった薬剤を「ジェネリック薬」という。ジェネリック薬は公開された製法どおりに作っているのが建て前だから、原理上新薬とまったく同じ薬に仕上がるはず、であるが、アニハカランヤ、ジェネリック薬のおいては、新薬ではまったく出なかった副作用の発現や、効き目の弱さが多数報告されており、そういった理由から「ジェネリック薬は絶対につかわない」というポリシーを持つ医師も少なくないという。これは一体どういうことなのだろうか。「原理と実際」の齟齬なのか、「理論と技術」の乖離なのか、いろいろ現象を分析する角度はあるだろうが、これはもっと根が深い問題なような気がしている。鋭く尖った理想と熱い欲望を持って血みどろ汗みどろになっ